自分にとってユウタをどう送り出すかはとても重要なことです。
昨年の5月、ユウタが旅立ってからつらい日々が続きました。
一番最初は葬儀のあり方です。
私もパパも多くの人とは異なった考え方をしていると思います。
何より自分たちが心の底から納得できることを大切にしています。
様々なスタイルのある葬儀ですが、多くの人が自分のなじみの深いスタイルを最善で最良のものだと考えます。
でも私たち二人にとって形式的なことはほとんど意味を持ちません。
なのでユウタの遺灰もまだ手元にあります。
お墓に入れるべきとか、こうするべきとかいろんなことを言う人がいます。
でも正直、形式的なことって結局どこかの誰かが「こうしてみようかな...」と始まったことだと思うのです。
だから自分が最初になってもいいと思います。
周りに振り回されず、自分の納得の行くまで時間を取ることは悲しみを乗り越えるうえでとても大切な気がしています。
いまだにここのお墓に入るのが一番だ、みたいなことをいう人もいますけど、笑ってごまかしています。
そんなことは私には関係ないのです。
だって私はまだまだユウタと一緒にいたい。
それでいいと思う。
だって私はユウタのことが大好きだから。
ちゃんと前に進んでいるし、そんな自分を見ていてほしいから。
頭では分かってる。
もうユウタはいないんだって。
でもまだダメ。
それでいい。
それでいいと思うから。
このままもうしばらく。
ママを見ていてね、ユウタ。