命を軽視する人との決別

ユウタママです。

昨年末、ずっと心に引っかかっていたことをはっきりと表明しました。

わたしの両親は、ユウタが闘っている時、生きようと全力を尽くしている時、

そこまでしなければ生きられないならそのまま死なせればいいと言いました。

そういう意見もあるとは思います。

でも私は、一番支えてほしいときに一番身近な人からそういわれたことが悲しかった。

ユウタを亡くした後、そのことで苦しんでいる時、兄姉から「そういう考えのお前が悪い」と言われて苦しかったです。

でも自分は間違っていないと思います。

子どもの生きようとするエネルギーや個性、子どもの自分でどうするか決定する意志を尊重するのが、応援するのが親の役目と思っています。

だから、以下の手紙を両親に送りました。

賛否両論あるとは思います。

でも私はこう考えました。以下、全文です。

ご無沙汰しております。雄太の命日にはお花をいただきありがとうございました。ありがたく思うと同時に、複雑な気持ちでいます。あなた方も高齢になり、一度きちんと自分の気持ちを伝えておこうと思いました。

率直にいいます。あなた方は私たち家族にまず、謝罪をすべきと思っています。あなた方は雄太が生死の境をさまよい、それでも戦い続け生きる・生き続ける努力を重ねているさなか、私たち家族がギリギリの精神状態の時に思いやることもせずに自分の思いをただ垂れ流し、私たち家族を傷つけました。そのことはどれだけ時間がたとうとも許されることではありません。あなた方は昔から、子どもを一人の人間として認めず、自らの過ちも誠意をもって謝罪をするという事から逃げてきました。それは私自身が体感したあなた方の記憶です。あなた方がそれを否定しても、それは私の思いです。否定するのも結構ですが、他者の持つ印象と自分自身の理想というものは常に違うものです。それを観てみぬふりをし、私たち家族・雄太と私とパパの意志を踏みにじるのは今後一切許す気はありません。私は雄太の死後、精神科に通いカウンセリングを受け様々な方の助けがあり今は自分の道を進んでいます。その中で「許す」という行為について深く考えてきました。私は家族だから許されるという古い考えには賛成できません。そして許すという行為の本質も考えました。その中には二つの要素があり、一つは「復讐をしないと誓う事」もう一つは「その人が犯した罪を無条件に免除する」行為だと思っています。私はあなた方に復讐しようとは思いません。でも無条件であなた方が犯した命を軽視する・他者を軽視するという罪を免除する気もありません。あなた方はあなた方の幸せを追求するべきと思います。でもその幸せをかなえるために私を利用し、私を踏みにじるのはおやめください。人はそれぞれ尊重されるべきですが、傷つけられるべきではありません。そのことを申し上げておきます。

私は今、自分の道を歩いています。そのために、又引っ越しもしました。住所を言うべきか否か迷いましたが、良い機会と思いこのような手紙を書くことにしました。これをどう受け止めるかは、あなた方の自由です。

 

これを読んで、なんて恩知らずな、と思う方もいると思います。

わたしは命を軽視することはたとえどんなことがあっても許す気はありません。

今まさに病気と闘っている人、その人を支えている家族、先生方、看護師の方々、私はその人たちを全力で応援したいし、尊厳を守りたいと思っています。